めだかの学校 よもやま話 第1話 (2021-3-12)

さて、今回からホームページ上で、めだかの学校の生い立ちから現在までを月1回の連載で、エピソードなどを交えながらおしゃべりしていきたいと思います。

 先ずは、「言い出しっぺ」4人の人となりを簡単に紹介したいと思います。自称”人たらし”の伊藤茂男さんは当時、引佐町商工観光課の課長で、アイディアマンとして全国的に名が知られていたバイタリティ旺盛な、まさに好奇心と実行力のかたまりのような人でした。武井紀夫さんは、静岡県中西部をフィールドに、焼津さかなセンター、アクティ森、とよおかとれたて元気村、香りの博物館など多くの施設の建設に関わる大活躍のコーディネーターでした。平ちゃんこと平山豊さんは静岡新聞・静岡放送の事業部長で県内の多くのイベントに絡まっていました。また放送のディレクター時代、引佐町の地芝居、横尾歌舞伎を年間通して取材し、放送界最高の前島賞を受賞。人や地域の好き嫌いが激しく、嫌いな人には口もきかない、というご尽でありました。(笑)

 かく言う私、榊原幸雄、愛称バラさんは、静岡新聞に勤めながら人形劇団を主宰し、「子どもの瞳に輝きを!」と、静岡県人形劇協会の初代会長で、当時は相談役をしていました。

 そんな4人がどのようにしてつながっていくのか・・・ご縁って面白いですね。それはある一本の電話から始まりました。昭和62年ごろのある日、静岡新聞の電話交換台に、『バラさんお願いします』 「すぐつなげますので少しお待ちください」『バラさん、引佐町の伊藤さんから電話です』「エッ、引佐町の伊藤さん?知らないなァ~、とにかくつないで・・・」「もしもしサカキバラですが・・・」『いや違います、バラさんにお願いします』「私のこと、みんなバラさんと呼んでいますが・・・」。(後ろの方で、うちの会社に榊原さんっていたっけ?の声も聞こえる)。伊藤茂男さん言う。『引佐町にニュージーランドの人で、”影絵劇団夕やけ”が住みたいと言うのですが、どんな人たちですか?』「いい人たちですよ、住ましてあげてください!」~そう、このあと、この電話がキッカケで4人がつながっていくことになります。

 あ、そうそう、頭の隅に竜ヶ岩洞社長の戸田昭朗 さんと、摘み草クッキング主宰の篠原準平さんの名前も覚えておいてくださいね。

  ×  ×  × × ×

 さぁ~、4人がどうつながり、「おもしろ人立”めだかの学校”」へつながっていくのか お楽しみに・・・。では、また。 

事務局 言い出しっぺ 榊原幸雄

 

※追伸、HP上に掲載されている「めだかの学校だより」で予習されるといいかもしれません。おしゃべりは、いい加減なバラさんでございますれば・・・ハイ。

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