めだかの学校 よもやま話 第3話( 2021-5-31 )

今回は『静岡市から引佐町へ』です。

 若い頃から「私がやめたら会社がつぶれる・・・」。つぶれる訳がないのにねぇ~意気がってやってました。50歳に近くなるころからオーバーヒートの回数が多くなり、これでは会社がつぶれる前に私がつぶれる(笑)。 妻に「会社をやめようと思うが…」と話すと、「いいじゃない」とあっさり言う。3人の子どもの大学進学時期と重なることもあって半分躊躇気味の私に「だいじょうぶ、なんとかなるわよ」とあと押ししてくれた。会社の規約に合わせて3ヵ月前に上司に辞表を提出。2ヵ月経っても返事がない。聞けば「エッ、冗談じゃないの?!」とびっくり顔。(私はいつも辞表をもって仕事していた)。辞表は上へ上へと。強い慰留を受けてしまった。問われ、どこへ行くあてがあって辞表を出した訳でもなく、断るに断れり切れず、あらため、1年だけ勤めさせていただくことに。退職までの1年間、勤めさせていただきながら、自分たちがやりたかった知的障害や身体障害の人たちと自然体でふれあえるような「ふれあいの里づくり」のような場所を、人形劇で交流していた引佐町の伊藤茂男さんに相談していたこともあって、そのようなことに時間を費やすことにしました。
 そんなある日、伊藤茂男さんから「渋川でシンポジウムをやるけど、来ませんか」というお誘いがあり、伺うことにしました。その内容は、ハンディを持っている人に、野菜や花などの苗をつくってもらったり、それを販売する、人形劇などを絡めた、ハンディをもっている人たちの就労と文化的なもの含めたもので、指導者の中には私の名前も。私が思っていた形態とは少し違っていたが、そのような内容のシンポジウムだった。そのまま連絡がないまま終わってしまったが、武井紀夫さんと伊藤茂男さんの町への企画提案だったかの知れない。仲間への思い嬉しいですね。
 翌年の平成4年1月、引佐町から「長山町長がお会いしたい」との連絡があり、妻と2人で出かける。引佐町では、いなさ自然休養村の研修施設だった「奥いなさ」が閉鎖中になっており、その施設をリニューアルして、なにか新しいことができないか検討中とのこと、その運営に携わってもらえないか、の話しだった。ふと、『ふれあいの里づくり』になり得ないだろうか?」~後日返事することにして帰ってきました。家族で相談のうえ、下の娘が高校受験を控えていることもあって、私だけが単身で引佐町へ行くことにして、OKの返事をしました。その後何度か打ち合わせにいく。
 いよいよ30数余年勤めさせていただいた、大好きだった、静岡新聞、静岡放送、退職の3月31日、秘書課に社長の在室を確認してごあいさつにお伺いすると、外を見つめたまま、「明日から幹部社員も週休2日になる、給与もそれなりに出している、今まで以上にボランティア活動ができるようになる、それなのに君は・・・、私は心配でたまらない・・・」。社員を思う優しさに、私はただただ頭を下げるしかできませんでした。そのあと色々な部所にあいさつに回り、職場に戻って、いつものように7時すぎまで仕事をしていました。
 明日は引佐町へ―
 平成4年4月1日。朝起きると、外は強い雨と風。空を見上げてもやみそうにない。朝6時すぎ、妻と娘に見送られて一路引佐町へ。ハンドルをしっかり持っていないと車をもっていかれる。これから始まるだろうことを思う余裕もない。『いなさ自然休養村 野草の店 つみくさ』―私を待っていたのは、『凄‼』 強い風と雨とに乱れ舞う桜吹雪‼。車に何層も何層もへばりついてくる桜の花びら。なんとか裏口へたどりつく。鍵をさがし裏口のドアを開ける。ウッ、鼻やのどを突くカビ臭‼。なんだ、これは―。一瞬、大石社長の言葉が頭の中を横切る。・・・わたしは・・・。
 今回は私の岐路の時のこと、だいぶ熱が入ってしまいました。お赦しくださいね!。
 次回は 「おもしろ人立”めだかの学校”」発祥の場所『つみくさ』です。お楽しみに・・・

事務局 言い出しっぺ 榊原幸雄

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